スポンサーリンク
普段、ほとんど寝込むほどの病気をしたことがない私。
毎年の健康診断も、気持ちいいほど何もなく優秀でした。だから自分が倒れるなんて思ってもいませんでした。
「自己免疫性膵炎」
この病名はすぐにはわかりませんでした。
病名が判明するまでの経緯を書いていきます。
(長くなりそうなので2回に分けて書いていきます)
スポンサーリンク
目次
私の仕事形態
本題に入る前に、簡単に私の仕事について…
私は現在、52人の生徒さんを受け持つピアノ講師です。
月・水・土は自宅、火・木・金はカルチャースクールで指導をしています。生徒さんは3歳〜大人までと幅広く、私自身も楽しんでレッスンしています。
現在は12月の発表会に向けて、少しずつ忙しくなってきている時でした。
9月9日(水)発熱
もしかして、コロナ?
その日は日中は全く異常なく、元気だったのです。
朝から普通に家事をし、普通に息子たちを送り出し、午後からのレッスンに備え、あまり時間がなかったのでお昼ご飯に「卵かけご飯」を流し込むように食べ、いつも通りレッスンを行い…
19:00
自宅でのレッスンが終了した時、なんとなく違和感を感じました。
寒いかも…もしかして?と体温を測ると36.8°
そこまで高いわけじゃない。夕飯の支度をしなきゃな、ととりあえずキッチンに行きました。
しかし、立っていると体がだるい。やっぱりおかしい…
19:30
30分後、再度熱を測ると38.6°まで上がっていました。
あまりにも急な発熱…まさかコロナじゃないよね?
こうなると、全て悪い方へ悪い方へ考えてしまいます。
実は3年前に肋骨を骨折していて(咳が長く続いたら疲労骨折しました)、ここ数日、古傷が痛むというか…なんとなく胸が痛かったのです。
でももしかしたら、これ、肺炎の痛みなのか?
やっぱり…コロナ?
ヤバイ、どうしよう…
周りへの影響は?
もしコロナだったら…どれだけ周りに迷惑をかけてしまうんだろう?
カルチャースクールは学童を併設しています。
5月に同市内の同じような形態の学童の職員がコロナに感染し、その学童は2週間閉鎖していました。両親が共働きのご家庭のお子様を預かる学童が閉鎖となると、保護者様は仕事に行けません。
おそらく私が勤めているスクールでも同じことになる。そして生徒さんは濃厚接触者となってしまう。
スクールのピアノの生徒さんは90人弱。その約半数は私が受け持っています。
生徒さんが通う学校も近隣の小中学校7校にもなります。その影響を考えたら…ゾッとしました。
まずい、どうしよう…
どう考えても現時点でこれだけの熱があれば明日のレッスンは無理。
現在スタッフさんがまだギリギリ、スクールにいる時間。とりあえずスクールに電話をし、私の今の体調を伝え、生徒さんへ明日の休講の連絡をお願いしました。
そして何かわかったら、また連絡しますと。
それからもう1人…
次男にも連絡しなければいけませんでした。
次男は飲食店のチェーン店の店長をしています。万が一、私が感染者となれば当然、次男も仕事を休まなくてはいけません。
立場上、簡単に休めない。早めに他の従業員への仕事を考えた方がいいかも…とLINEを入れておきました。
そうして私があちこち連絡を入れている間、長男がすぐ連絡できるようにと、コロナに関する電話相談窓口の番号を調べておいてくれていたのです。
長男グッジョブ!
こちらは川崎市のホームページです。このように各自治体が相談窓口を設置しています。
参考 【新型コロナウイルス感染症】感染の疑いがあるときは川崎市ホームページ
コロナ感染症相談窓口へ電話
相談窓口へ電話をし、まず現在の私の状態を伝えました。
いつから発熱したのか、熱は何度か、など…
そして、あちらからの質問は
- 2週間以内に海外渡航歴があるか
- 2週間以内に感染者と濃厚接触があったか
- 味覚がなくなってないか
でした。
答えは全て「ノー」
おそらくコロナではない。明日診察時間内にかかりつけ医に診てもらうように、と指示を受けました。
救急要請
20:00頃
諸々の連絡が終わり、ぐったり…
とても晩ご飯を作れる状態ではなく、そのまま私は横になり寝てしまったようです。
ただ、気持ち悪くて眠りが浅く、何分かごとに目が覚めていました。
長男と末っ子はコンビニ弁当を買って食べたよう。
22:00頃
次男、帰宅。
あまり覚えていないのですが、少し会話をしたような…
相変わらず私はうつらうつらの状態。何度か熱を測りましたが、39度台に。
息子たちは、もう私はコロナだと決めつけ、明日からどうする?の相談を3人でしていたそうです。
とりあえず明日は全員休もう。
高校生の末っ子に関しては、学校への連絡は保護者からという決まりがあります。
長男が電話をするということになったようです。
23:00過ぎ
私の容態が急変したのはこの頃。猛烈に気持ち悪くて目が覚めました。
胃というか腸というか、内臓全体に何かが詰まったような、気持ち悪くて仕方ない。
上からでも下からでも何でもいい。出したい!
(表現が汚くてごめんなさい)
だけど、起き上がれないのです。全く体がいうことをきかない。
吐き気だけが増していき、気持ち悪くてしかたない。隣の部屋にいるはずの息子たちを呼ぶだけで精一杯でした。
「吐きそう」と告げると長男が洗面器を持ってきました。
晩御飯を食べていないので、胃液しか出ない。それでも少し嘔吐するといくらか楽になりました。そうすると今度は猛烈に喉が乾く。
末っ子がコップに麦茶を入れて持ってきてくれ、次男は我が家のマンション1階にある自動販売機でスポーツ飲料を買ってきてくれました。
どちらも一口づつ飲んだところで、また猛烈な吐き気が…今度は息をするのも苦しい。
その様子を見て、次男が
「お母さん!救急車呼ぶからね!」
と叫び、私はただただうなづくだけでした。
119番をしてくれたのは次男。救急車到着まで何分経ったのか…数分だったのかもしれないけど、私にはとてつもなく長く感じてしまいました。
それは息子たちも同じだったようで、まだかまだかと何度も外の様子を見に行っていました。
救急車到着
23:30
ようやく救急車到着。救急隊員からいくつか質問されましたが、この辺、記憶がもうあやふやです。
付き添いは?と救急隊員の問いかけに次男が「自分が行きます」と申し出ました。「成人していますか?」というようなことを聞かれていたようです。
我が家はエレベータなしの3階です。搬送も大変だよな、申し訳ない…とチラッと思ったのですが、運ばれ始めるとそんなことはもうどうでもいい!この揺れが、気持ち悪すぎる!
運ばれる途中で「吐きそう…」と訴えると、ビニール袋を渡されました。
救急車の中に入って、またいくつか質問されます。
どこが痛いかとあちこち押さえられますが、このあたりになると、もうどこが痛いのかわからない。みぞおちあたりを中心に内臓全部痛い。
仰向けになれますか?と聞かれても、苦しくて横向きで丸まっているのが精いっぱい。
お仕事は?と聞かれ、次男が「パート、かな?」というのを聞いて「自営業じゃ、ボケ!」と言いたくても声が出ない。
最後に食べたのはいつ?何を?と聞かれて「お昼に…卵かけご飯を…」と言うのがめちゃめちゃ恥ずかしかった。
そうこうしているうちに、家から車で10分の大学病院が受け入れ先に決まりました。
救急車って、なんであんなに乗り心地が悪いんでしょ?揺れる揺れる…車内でも嘔吐してしまいました。
最初の診断…虫垂炎
病院に到着して、また同じ質問が繰り返されます。
仕事は自営業!内臓全部痛い!最後のご飯は卵かけご飯!
苦しい…早く楽にしてほしい。
まず点滴がつながれました。吐き気止めが入っているそう。少し落ち着いたら検査を始めるらしい。
いつの間にか私も寝ていまい、どれくらい経ったのか…レントゲン検査をすると起こされました。
車いすで運ばれる時に、誰もいない病院のロビーの椅子で座ったまま寝ている次男が見えました。申し訳ない…
レントゲンの後、CT、尿検査、血液検査を行い、ついでにPCR検査も行い、今度は最初運ばれた部屋とは違う部屋へ。
そこでもしばらく眠ってしまいましたが、検査結果が出たと起こされたときは、既に3時を回っていました。
次男も呼ばれ、一緒に話を聞きます。私の主治医は若い女医さんでした。
血液検査の結果、炎症反応が強いこと。
レントゲンの結果、私の内臓脂肪が少なくて全ての臓器がくっついて見え、はっきりしないこと。
だけど肝臓と膵臓が少し腫れているようにも見えること。
痛みの場所から、おそらく虫垂炎だろう、と。
虫垂炎ならできるだけ早く手術をした方が回復は早い。今日しちゃいましょう♪と簡単に言われました。
しちゃいましょうって…
「入院するってことですか?」
「はい。入院してもらいます。」
どうしよう…明日から末っ子のお弁当は?あ、定期券も切れる。お金おろしてないや。いや、仕事も休まなきゃダメ?
頭がパニックになりそうで、ただ、どうしようどうしようと…
母子家庭で息子3人。私がいないと家の中は回らない、そう思っていました。
でも長男も次男ももう成人。私だけがいつまでも心配していただけで、思ったよりも頼りになります。思考停止してしまった私のかわりに、次男がどんどん入院手続きを進めてくれました。
9月10日(木)4:00 入院
入院が決まり、病棟に移動しましたが、コロナ対策のため次男は病室までは付き添えませんでした。エレベーターホールで、着替え等必要なものを伝え、持ってきてもらうことに。
この時私は喉がカラカラで「ついでに水を買ってきて」と次男に言うと、男性看護師が即座に「ダメです!」と…
ここからつらい絶飲食生活の始まりでした。
次男は一旦タクシーで帰宅し、車で着替えなどを持ってきてくれましたが、もうここから私は次男に会えなかったのです。荷物の受け渡しは全て、看護師さんを通して行われました。
明け方近くの入院でしたが、そのまままた私は眠ってしまいました。
続きはこちら
自己免疫性膵炎が判明するまで②
↓ランキングに参加しています。クリックしていただけると嬉しいです
スポンサーリンク